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2008年7月20日 聖日礼拝説教
聖書箇所:ローマ人への手紙3章9節〜31節 説教題:神の恵みによる義 おはようございます。今朝もローマ書を通して、皆様とご一緒に神様からの語りかけを聞く時を持ちたいと思います。今朝は「神の恵みによる義」と題してローマ書3章9節〜31節にかけて、神様の救いとはいったいどのようなものであるのかという事をご一緒に考えてみたいと思います。 教会では、人間の罪とはどういうものかという事について語られますが、一般の人々は罪人だという事を面と向かって言われるとあまり気持ちいいものではないかも知れません。しかし、人間は本質的にどの様なものであるのかという事、この事を知っている者と知らないものとでは生きていく上で大きな差が生まれてくるといえます。 今日の聖書箇所ローマ書3章10節、11節を見ますと 3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。 3:11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。 というように書き記していますが、この言葉は詩篇14篇2節、3節(p.840)から引用です。詩篇14篇2節、3節(p.840)を見ますと 14:2 主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。 14:3 彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない。 と記されているように、神様が人間を見ると、人は皆、汚れており、善を行う人はいないといわれる御方なのです。たとえ、ユダヤ人のように、神様から特別に選ばれた民族で生まれて直ぐに割礼を施された者たちであっても、ギリシャ人達のように知識に富んだ者たちであっても、すべて罪の下にあるとパウロは指摘しています。 |
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聖書個所:ヨハネによる福音書15章1節〜11節
説教題:「豊かな実を結ぶために」 今朝はヨハネによる福音書15章1節〜11節を中心にして、15章全体を通して「豊かな実を結ぶために」という題で、「ぶどうの木」のたとえの話は、私たちの信仰生活にとってどのような意味があるのか、また豊かな実を結ぶため、私たちはどうあるべきなのかという事をご一緒に御言葉から学ばせていただきたいと思います。 15章1節を見ますと、 15:1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。 と記されています。イエス様が「わたしはまことのぶどうの木であり、」と語られた言葉に ついて考えて見るならば、「まことのぶどうの木」と言われるならば「まことではないぶどうの木」がある事という事に気づかされます。まことではないぶどうの木とは一体、具体的に何をさすのでしょうか。 |
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聖書箇所:ローマの人への手紙1章1節から18節
説教題:「パウロの切なる願い」 おはようございます。今日からしばらくの間、ローマ人への手紙を通して皆さんとご一緒に神様からの語りかけを聞くときを持ちたいと思います。ローマ人への手紙は世界の歴史を何回か作り変えてきた手紙であるという事が出来るといえます。その一つに、中世にカトリック教会に対して「信仰によって人は救われるのだ」とマルチン・ルターが宗教改革を行うきっかけをもたらしたのも、ローマ書でありますし、ジョン・カルバン、ジョン・ウェスレー・バルト、内村鑑三等、偉大な働きをなした信仰者たちが信仰の目が開けて、多くの人々に信仰の素晴らしさを知らしめたものがローマ書です。ですから、ローマ書には私たちの信じるキリスト教の真髄が記されているといえます。 |
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2008年6月15日 聖日礼拝説教
聖書箇所:マタイによる福音書27章1節〜10節 説教題:「憐れみの神」 おはようございます。今日は父の日です。6月の月の第3日曜日が「父の日」になった由来は、今から98年前の1910年、アメリカはワシントン州のジョン・ブルース・トット夫人が、男女同権の見地から「母の日」に対して父に感謝する行事を行なったのが、その始まりだそうです。ちなみに、私の二人の子供たちは、父の日になると父親に感謝を込めて、「お手伝い券」を作って、何枚かくれます。さすがながら高校生の長男は「お手伝い券」を作ってくれるような事はしませんが、小学生の息子は昨年も「お手伝い券」というものを作って、プレゼントしてくれていました。今年も昨年同様、「お手伝い券」をいただけるでしょうか。親にとっては、ただ、二人の息子が、心から神様を信じて、生涯を過ごしてくれる事が一番の願いであり、その事が父親としてのよろこびです。そして、将来、神様の御栄を表すお仕事を働きしてくれるようになってくれたら、どんなにか嬉しい事かと思わされています。 今朝は父の日に、ちなんで「憐れみの神」という説教題で、マタイによる福音書27章1節〜10節からイエス様の弟子のひとりであったユダがイエス様を裏切ったのは、どうしてなにか。また、ユダは不幸にも自殺してしまいます。どうして自殺しなければならなかったのか。ユダが神様とはどのようなお方なのかということ心から知っていたら、どのようになっただろうかを考えながら、今日の聖書箇所をご一緒に見てまいりたいと思います。 今日の聖書箇所にはイエス様の弟子の一人であったユダという人物の事が記されています。ユダはイエス様というお方のそばにいながらイエス様というお方の本質を知らずに過ごしていた人の一人として描かれているばかりか、ユダがイエス様をどのように見ていたのかという事を顕著に表現している箇所であると思います。 |
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2008年6月8日 聖日礼拝説教
聖書箇所:申命記34章1節〜12節 説教題:「救いの御業」 今朝は、申命記34章1節から12節にかけて、「救いの御業」と題して、何故に,神にたてられたイスラエルの指導者モーセは、神に約束された地を目前にしながら、死をむかえなければならなかったのか。また、モーセが死を迎えるこの聖書個所の出来事は私たち信仰者に対して何を語ろうとしているのかという事を御一緒に考えて見たいと思います。 今日、ここに集われている方々の殆どは、モーセがどのような生涯をおくり、モーセという人物についてはご存知の事と思われますが、モーセの生涯がどのようなものだったのかという事が簡潔に記されています聖書個所があります。使徒の働き7章17節から36節です。 |
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