プロテスタント・福音主義キリスト教会 日本ナザレン教団 阿倍野教会 礼拝メッセージ
2008年6月8日 聖日礼拝説教
2008年6月8日 聖日礼拝説教
聖書箇所:申命記34章1節〜12節
説教題:「救いの御業」

今朝は、申命記34章1節から12節にかけて、「救いの御業」と題して、何故に,神にたてられたイスラエルの指導者モーセは、神に約束された地を目前にしながら、死をむかえなければならなかったのか。また、モーセが死を迎えるこの聖書個所の出来事は私たち信仰者に対して何を語ろうとしているのかという事を御一緒に考えて見たいと思います。
 今日、ここに集われている方々の殆どは、モーセがどのような生涯をおくり、モーセという人物についてはご存知の事と思われますが、モーセの生涯がどのようなものだったのかという事が簡潔に記されています聖書個所があります。使徒の働き7章17節から36節です。
 
概略をお話したいと思います。アブラハムを選び出し、約束の地に導いた神は、アブラハムとの間に交わし「あなたの子孫をおびただしくふやしあなたを幾つかの国民とする。」という契約を忘れる方ではありませんでした。アブラハムの孫に当たるヤコブには12人の息子が与えられ、神様の計らいにより、カナン地方に飢饉がおこる前にヤコブの息子、ヨセフを先にエジプトに遣わし、エジプトの民を飢饉から救うばかりか、ヤコブの家族、全員をエジプトの地にて救い出しました。しかし、ヨセフがなくなり、ヨセフの功績を知らない、エジプトの王の時代になると、あまりにも人口が増えすぎたイスラエルの民の存在が脅威に感じたパロ王はイスラエルの民に対して過酷な労働を課すばかりかイスラエル人に生まれてくる男の子を生かしておかないような策略を取り始めました。そんな中でモーセが誕生します。モーセの両親はエジプトの王の命令に背き3ヶ月の間、隠して育てますが、もう隠す事ができなくなり、パピルスの籠にアスファルト等で防水し,その籠の中にモーセを入れ、ナイル河の足の茂みに置かれました.その籠をパロの王女が見つけ、王女は不憫に思い「ヘブライ人の子」だと理解したのですが、パロ王の王女が拾い上げ,自分の子供として育て、しかも乳母として実の母親に育てられるようになったばかりか、モーセはエジプトのあらゆる教育を受けル事となりました。モーセが40 歳になった時、イスラエル人の一人がエジプト人によって虐待されているのを見て、助け、相手のエジプト人を打ち殺し、仇をうちました。しかし,その行為をイスラエル人は理解しませんでした。それどころか、イスラエル人同士が争っている場所に遭遇したとき仲直りさせようとしたのに、仲間を痛めつけていた男は、モーセを突き飛ばし、「だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか。あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか」。(出2章14節)と言われる始末でした。モーセはこの言葉を聞いて、パロ王に自分が起こした事がばれたと考えたのでエジプトを逃げ出し、そして、ミデヤンの地に身を寄せて40年たち、モーセが80歳の時、神の山ホレブで,主の御使いが柴の燃える炎の中にモーセの前に現れ、モーセは主の声を聞きました。神様からの呼びかけに対して。恐れおののくモーセでしたが、神様は『あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたの立っている所は聖なる地である。わたしは、確かにエジプトにいるわたしの民の苦難を見、そのうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下って来た。さあ、行きなさい。わたしはあなたをエジプトに遣わそう。』と告げられモーセを指導者または解放者としてお遣わしになられました。
モーセは40歳の時、自分の力でイスラエル人を助けようとしました。しかし、神様にとってはまだその時ではなく、モーセがまったく自分のうちに何の信頼も持つことができなくなった時、主の声をききました。それはモーセが多くのイスラエルの民を導くためには忍耐が必要であるという神様のご計画であり、モーセにとって最も必要な準備の時をすごした時でもあったといえます。主はモーセが神の臨在にふれ、自己信頼が無となった時、モーセに出エジプト記3章12節のお言葉「わたしは必ずあなたと共にいる。」と臨在の約束をお与えになりました。そして、神様の臨在のもと、モーセはエジプトの地でも紅海においても、また40年の間の荒野においても、不思議な業としるしを行って,人々を導きだしました。モーセがエジプトから導き出した民の数は出エジプト12:37「 イスラエル人はラメセスから、スコテに向かって旅立った。幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約六十万人。」であったと記されています。子供や女性の数を加えると、その数は,200万人になると思われます。この数については、ある聖書学者は「これほど多くの人がシナイ地方では生活できるはずはない。「千」という数は「家族」を表す言葉という意味もあるから、おそらく60家族の誤訳だろうと説明する人もいます。しかし、エジプトのパロ王が脅威を感じる数だ言うことから推測しても、多くのイスラエルの民がいた事は間違いないといえるのではないでしょうか。多くの人々を導いてきたモーセは今朝、聖書個所に記されていまように、神様が与えるという約束の地が見渡せる。ピスガの頂きに登り、約束の血を目前にして、申命記34章4節において、神様は「わたしが、アブラハム、イサク、ヤコブに、『あなたの子孫に与えよう。』と言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたはそこへ渡って行くことはできない。」とモーセに対して告げられました。どうして、40年もの間、苦労してイスラエルの民を約束の地が目の前にあるところまで導いてきたモーセは、神様が約束された地に入る事が出来ないのでしょうか。
 その事の理由として、民数記20章(p.245)に記されている「メリバの水」の出来事が上げられます。モーセに導かれてきたイスラエルの民は、ツィンの荒野に入り、カデシュに滞在した時、そこには会衆に飲ませる水がなかったことから、イスラエルの民たちは徒党を組んでモーセとアロンとに迫りました。
(民数記20:3・4)「ああ、私たちの兄弟たちが主の前で死んだとき、私たちも死んでいたのなら。 20:4 なぜ、あなたがたは主の集会をこの荒野に引き入れて、私たちと、私たちの家畜をここで死なせようとするのか。とモーセとアロンに対して不平を口にしました。そんな中でモーセとアロンは会衆を離れ会見の幕屋の入り口に行って、ひれ伏すと、主の栄光が彼らに現れ、主はモーセに対して(民数記20:8) 「杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。あなたは、彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に飲ませよ。」と語られました。その言葉を戴いたモーセは主の杖を取り、会衆の目の前にある、岩の前に立ち「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」。と言い、モーセがもっていた杖で岩を二度打つと、たくさんの水が、わき出たので、会衆も家畜も飲んだ。と書かれています。その出来事に対して主はモーセとアロンに対して、「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない」と言われたばかりではなく、申命記32章51節、52節において
(32:51) あなたがたがツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のほとりで、イスラエル人の中で、わたしに対して不信の罪を犯し、わたしの神聖さをイスラエル人の中に現わさなかったからである。
(32:52) あなたは、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地を、はるかにながめることはできるが、その地へはいって行くことはできない。」
とモーセは約束の地、カナンに入る事を拒否されました。
 聖なる事を表すとは、具体的に何を意味するのでしょうか。わたしたちが所属している教団はジョン・ウエスレーの聖めの教理にたっています。その聖めとはいったい何を意味するのでしょうか。私が、聖めの教理に立つ他教団の神学校においても3年間の学びをさせて戴いた事がありますが、そこでは、機会あるごとに語られる学生向けのメッセージは、自分に死になさい。悔い改めの実を結んでいますかというメッセージでした。そのメーセージを聞きながら語られる先生方の聖潔の体験を聞いていると、その体験がおのおのに異なっており、一体どれの事が聖潔なのか、私にはわからなくなった事がありました。そんなある日の事、ある方が、聖潔とは、私たちが神様を心の中心にお迎えして神様を中心とした生活をすることですよ。と教えてくださいました。その事がはっきりと自覚出来た時が、聖潔、聖であるとするならば、モーセが主の御前から杖をとり、会衆の目の前の岩に立ち「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」。と言い、モーセが杖を持って岩を二度打ったという、そうした行為は、神様を中心とした行為ではなく、この岩から水を出さなければならないのであろうか、とまさに、自分が水を出すようにした事と、出エジプト記17章において記されているレフィディムにおいて水が無かった時に、民がモーセに喉が渇いて仕方がないと不平を言い、民を言い争った時、モーセが主に叫ぶと,主はナイル川を打った杖を持って岩を打ちなさいと告げられ、主が告げられた通り、杖で岩を打つ水が出ましたが、メリバでは、岩に命じなさいと言われた神様のお言葉をおろそかにしたと言う事が、神様が聖なる事を表さなかったという事でしょうか。
 私自身、このことの故に神様が約束された地にさえ入ることが許されないとしたならば、神様のお言葉に対する厳しさを痛感いたします。人間的に考えてみるならば、モーセは何百万人もの民と家畜等を導いて40年間も旅してきたのだから、その労に報いて約束の地に足を踏み入れるぐらいいいのではないかと思うものです。皆様方の中にもモーセの生涯を見る時、何故、神様は約束の地に入ることを許されないのだろうと考える方もおられると思います。
 ここで、私なりにモーセを指導者としてたてられた神様がここまでイスラエルの民を導いてきたご褒美として、モーセに対して、よくやったと、約束の地に民と共に入ることを許され、モーセと、モーセに導かれたイスラエルの民がヨルダン川を渡り、神様が約束された地に入ったと想像したら、どのような結果になるでしょうか。
ヨルダン川を渡った民達の姿を想像してみてください。イスラエルの民たちはモーセに対して絶大な評価を下し、モーセはよくやった、モーセによって我々は、神様が約束された地に到達できた。指導者モーセはすごい人物だとし評価し、モーセを神様のような存在として賞賛することは間違いないのではないでしょうか。そのことに対して、神様は救いの御業は神である私でしか出来ないという事をこのところでお示しになられているのではないかと考えます。
申命記34章7節にはモーセが死んだとき120歳であったが、目はかすまず、活力も、うせていなかったと記されていますが、モーセ自身、自分をイスラエルの民の指導者としてたてた方である神様の救いの御計画を自分なりに理解して、ピスガの山頂にたち,神様が約束された地を見渡し、自分の使命を果たして、死を迎えたのでしょう。モーセに導かれた民はモーセに代わりヨシュアに引き継がれ、ヨシュアが民の指導者としてヨルダン川を渡り、神様の約束の地に入る事になります。モーセは神様に用いられ偉大なことを成し遂げた人物です。モーセといえば、その生涯の中で特に上げられることは事のひとつに律法を神様からさずけられた事があげられます。モーセは律法を代表するといえるでありましょう。モーセの後を託されたヨシュアをギリシャ語に直せば、その言葉はイエスであり、救い主を意味します。これらのことから救いの予表として、ここにそのことが記されているといえるでしょう。律法は人に罪がある事を悟らしめ、救いの岸までは導きます。しかし、律法では人を救うことはできません。人を救うことの出来るのはイエス様であるという事を前もって示しているといえるでしょう。
  以前、私が呼んだことのある本で、三浦綾子さんが書かれた、私の尊敬する牧師のお一人でもある榎本保郎先生の事が書かれている「ちいろば先生物語」という本を読んで、私自身が感動し、教えられた事をご紹介したいと思います。
 榎本先生は、同志社大学の学生の時から学生寮で、日曜学校を開き。その後、開拓伝道を決意され、1949年に奥様と先生と2人で世光教会開拓をはじめられました。そして、12年後のある日曜日の礼拝出席者数は90名をこえていたと言われます。その日曜日の聖日礼拝が終わり、榎本先生は、一人、教会の事務室におられ、その事を知らない高校生たちが教会に残り雑談をしていたそうです。その話のは異様な、榎本先生を話題にした話だったそうです。
「な、知ってるか。榎本先生な、すごく弱虫なんやて。地震が怖うて、雷も怖いやて」
「そうやてな。うちも聞いたわ。川の傍らに教会があった時な、お隣のおばあちゃんの家やろ。雷が鳴る時な、和子先生がおらんとおばあちゃんの家に駆け込んで、おばあちゃんにしがみつくんやて」
「あんなでかい体してな」
「けど、そこがええとこや」
いかにも楽しそうな笑いが長々とつづいた。
「先生な、肉うどんの時な、先生は必ず「ぼくには肉の多いところをたのむで」と、大きな声で言うんや。あんな牧師いるやろか」
皆で、またひとしきり笑った。
「おい。俺たち、榎本先生のことというと、何で、いつもこない夢中で話すんやろう」
一瞬みんながだまり込んだそうです。すると一人の女の子が、
「そりゃ、先生が好きやからにきまっているやないの」
すると、すぐに男の子が、
「いや、ぼくは好きなだけではないと思うで。先生の話してるとな、何か心がもえるんや」
「そのとうりや。僕もそうや。先生の話しとるとな、何やこう力が沸いてくるんや」
「おれもや。おれなんか勉強はきらい、学校はきらい、まさか教会になどくるとは思わんかった。それが、榎本先生に会って、「何もする気ないんや」言うたら、先生な、じーっとぼくの顔見ててな、こう言わはったやで。「ほんまかあ、何もする気ぃないんといいうは、そら、つらいことやな。」って。ぽろぽろっと涙こぼさはってな。おどろいたな。親や先生たちはな、何もする気ないいうたら、ああやこうやいうばかりやったけど、先生は辛いことやなと、なかはったんや」
 皆がうなずいてい聞いていたといいます。
そして、しばらくみんなが沈黙した後で、
 「榎本先生が、もし、いやはらへんようになったら、おれは教会にこんぞ」
 「ぼくもよう来んわ」
 「うちもやめや」
 「心配せんでもええわ。ここは榎本先生の教会やさかいな。先生が植えて育てた教会や。
 この教会から先生がいなくなるはずがあらへんわ」
「そやそや」、といって、皆んなは玄関から出て行ったそうです。
榎本先生にとって、高校生たちの会話はうれしいことであったそうですが、おそろしいことでもあったそうです。
 (ここは榎本保郎の教会ではない)
イエス・キリストの教会なのだ。自分がいようといまいと、この教会はキリストを信ずる者が礼拝に集まる場所なのだ。
(自分は、もしかして、キリストの前に立ちはだかって、信徒をキリストに真に仕える者へと育てていないのではないか)
そのように受け止められた先生は、無一文から手塩をかけた教会ではありましたが、世光教会を去るべき時がちかづいているのではないかと思いわれたといいます。
そして、週報に、世光教会はわたしのものではありません。私はかみさまの御旨であれば、
今日でも、この教会をでてまいります。と記さざるを得なかっといいます。
しかし、教会員の人たちは、その言葉を、誰もまともに受け取らなかったといいます。しかし、榎本先生は朝毎に祈っておられたといいます。
 そして、時を待っていたかのように、榎本先生に四国の今治教会からの牧師招聘の要請がきたそうです。榎本先生は、牧師招聘の要請を承諾されました。
 奥様も手塩をかけて育ててきた保育園を去らなければなりませんでした。惜別礼拝には250名の人たちがあつまり、午後の集いには、多くの者たちの涙があり、先生たちも涙されたといいます。そして、四国の今治教会に赴任されました。
 神様の御旨に従うこと、それは人情的に辛いこともあるでしょう。信仰者の生涯は神様の御旨に従う生涯です。そして、従う事によって、よりよき実を実らせる事となることでもあります。
 マルコによる福音書2章には、一人の中風の人を4人の人がイエス様の所に連れてきたことが記されています。イエス様がおられた家には、多くの人々が集まってきていて、戸口までおり、あふれていたので、中風の人をイエス様のもとにつれていく事が出来なかったので、イエス様のおられるあたりの屋根をはがし,穴をあけ、中風の人を寝かしたまま、床を吊りおろしたとあり、それを見たイエス様はその人たちの信仰を見て中風の人を癒されたと言う話があります。病気の人は友人だちの信仰をイエス様がごらんになられておいやしになられました。私たちは,私たちの周りの人たちをイエス・キリストの御前につれてくるということに対してどれだけ熱心であるでしょうか。もちろん信じない人、求めようとしない人に対して、キリスト教を押し付けることはできません。救いはイエス・キリストの御業でありますから、私たちがクリスチャンにすることはできませんが、その人をイエス・キリストの御前につれて来る為に、諦めないで努力していかなければならないことを教えられます。阿倍野教会が主に真に仕える群れとして、主の救いの御業を豊かに表す教会となれる事を願っています。
 お祈りいたします。
【2008/07/29 15:11】 | メッセージ | page top↑
| ホーム |